2016/11/30
takayuki0722
世界で一番売れたと言われるスポーツカーである日産フェアレディZ。1969年に登場したこの車は、当時の世界における日本車のイメージを根底から覆しました。何より、北米を中心にバカ売れし、スポーツカーとして異例の記録を樹立したこのフェアレディZ。今回はこの「世界で一番売れたスポーツカー」の魅力についてわかりやすく説明します。
初代フェアレディZの画像
1969年に先代モデルのオープンボディのダットサン・フェアレディの後継車として発売が開始されました。ヨーロッパの高級GTに匹敵する性能と洗練されたデザインを両立し、さらに価格も比較的安かったため、北米市場を中心に爆発的なヒットを記録しました。10年もの長い間に渡って生産され、世界総販売台数55万台という、スポーツカーとしてはあり得ないほどの販売台数を樹立しました。
片山豊氏の画像
この日産フェアレディを開発したのは、先日亡くなられた故・片山豊氏です。この方はアメリカ市場でのニーズに応えた車を開発することに非常に熱心な方で、当時から日産自動車の重役にフェアレディの開発を掛け合っていました。片山氏の熱い思いに動かされフェアレディZの開発が始まることになります。まさに、この人無しでは今日のフェアレディZはなかった、ということです。
ダットサン260Zの画像
インパクトや競争力が不十分だとされていた当時の状況を打開しようと作られたこの車。そのため開発にも力が入っており、初代Zのスペックは目を見張るものでもありました。前後輪ともストラット式サスペンションによる四輪独立懸架を装備しており、当時有名なスポーツカーであったジャガー・Eタイプやポルシェ・911などと肩を並べるほどでありました。
初代フェアレディの画像
このフェアレディZは年々改良が重ねられていきました。1969年には当時、スカイライン2000GT-Rに搭載されていたソレックスツインチョークキャブレターを3基装備したDOHCのS20型の2種類の直6 2.0 Lエンジンを搭載したり、1974年には全長を310mに伸ばした4人乗りのモデルを発表したりと、常に進化を続ける車ということがよくわかります。
フェアレディZのインテリアの画像
低い視点で運転するコクピットも、考え抜かれてデザインがされています。背の高いエンジンを使わなくてはならないという制約のなか、故・片山氏が求めた、ロングノーズ&ショートデッキにまとめ上げています。様々な修正を重ね、ボンネットの強度をあげることに成功しています。
フェアレディZの画像
いかがでしたか?世界一売れたスポーツカーであるこのフェアレディZ。売れる裏には、顧客の気持ちに応えようとする熱い思いと、常に改善を怠らない真摯な気持ちがあったのですね。これからも日本を代表する車として、世界的人気を誇ってほしいと思います。
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