2015/11/27
ヒロメリー
初代アスカは軽量ボディと150馬力を誇り、当時のゼロヨン世界最速値をたたき出しています。いすゞ車にとっても、アスカは期待の一台であったため、いすゞ社が独自で開発した新しい5速ATも搭載されていました。そんなアスカの魅力を紹介したいと思います。
アスカは中型セダンとしていすゞ自動車から販売されていました。
では、いすゞのアスカとはいったいどんな車なのでしょうか?
いすゞのアスカの性能、デザインや乗り心地、価格について紹介していきたいと思います。
いすゞのアスカはいすゞのフローリアンの後継車として1983年に発売されました。
1990年からは、いち早く他社からのOEM供給車に切り替わっていますが、同様にOEM供給車に切り替わっていったいすゞのジェミニの廃止後も2002年まで販売が継続され、結果的には、いすゞが最後まで販売したセダンとなりました。
いすゞのアスカの車体は4ドアノッチバックセダンのみで、初代は姉妹車のような3ドアハッチバック、5ドアハッチバックも設計されていたものの、生産・販売には至りませんでした。
また、先代のフローリアンに設定されていたライトバンやOEM元に設定されているステーションワゴンなどは設定されていません。
その他にも初代アスカはタクシーや教習車仕様も設定されていました。
そしていすゞのピアッツァと同様にヤナセ向けにグレード「NERO」の導入が計画されていましたが実現はしていません。
そんないすゞのアスカはどういう性能でどういったデザインの車なのでしょうか。
ひとつひとつ見ていきながら、アスカという車についてご紹介できればと思います。
まずはアスカの性能について紹介します。
エンジンスペックなどはどうなっているのでしょうか。
初代アスカに搭載されていたエンジンは直列4気筒SOHCで排気量は1.8Lと2.0Lの2種です。
2.0Lにはいすゞが得意としたディーゼルエンジンも設定され、2.0Lガソリンとディーゼルにはターボ付き仕様が存在していました。
インタークーラー付きターボディーゼルは広く注目を集めていましたし、ガソリンターボはエンジン出力150PSを誇り、このクラスの車としては比較的軽量な1,000kg少々の車体とあいまってゼロヨン15.3秒を叩き出しています。これは当時の世界最速値となっています。
サスペンション前輪がマクファーソンストラット式独立懸架、後輪がトーションビームとトレーリングアームを組み合わせたサスペンションを用いています。
変速機構は5速MTと3速ATでスタートしましたが、1984年いすゞ独自の5速ATであるNAVi5を搭載し、注目を集めていました。
1990年6月に誕生した2代目アスカのグレードは2.0と1.8の2種類で、2.0→2Lの水平対向4気筒DOHC16バルブエンジン搭載ののFFと4WD、1.8→1.8Lの水平対向4気筒SOHCエンジン搭載のFF車、トランスミッションは全車に4ATと5速MTを設定しました。
ディーゼルエンジン搭載車や先代にあるホットバージョンの設定は消滅しまし
た。
わずか一年でマイナーチェンジが行われ、グレード名が新たに設定され、2.0→2Lの水平対向4気筒DOHC16バルブエンジン搭載のタイプZのFFと4WD、1.8→1.8Lの水平対向4気筒SOHCエンジン搭載のタイプT、そして新たに2Lの水平対向4気筒SOHC16バルブエンジン搭載の新グレード、タイプGが追加されました。
トランスミッションは全車に4AT、タイプZの4WDとタイプTのみ5速MTを設定しました。
1994年の3月に発売された3代目アスカでは2.0L(F20B)・4ATのFFのみのラインナップとなりました。
1997年9月に販売された4代目アスカのエンジンはVTEC化されたF18BならびにF20B(SOHC)を採用し、ベース車同様に電動パワーステアリングも採用しています。
駆動方式はFFのみで、グレードはLF(1.8L)とLJ(2.0L)の2種で、どちらも5速MTと4速ATから選択することができました。
ここで、実際にアスカに乗ってる人が性能についてどう感じたのかを見てみたいと思います。
このように性能について高く評価されています。
次はいすゞのアスカのデザインや乗り心地について紹介します。
4代目まであるいすゞのアスカですが、それぞれの特徴はあるのでしょうか。
初代アスカ
いすゞがフローリアンの後継車の設計を迫られていた時期に、GMが立ち上げた「グローバルカー構想」へ当初より参画して作られたU-carというクラスのモデルが初代アスカです。
販売期間は1983年~1989年です。
初代アスカの姉妹車にはオペル・アスコナ(3代目)、ホールデン・カミーラ、キャデラック・シマロン、シボレー・キャバリエ、シボレー・モンザなどがあります。
アスカは姉妹車より2ヶ月遅れの1981年秋を発売予定として設計が進められていましたが、約1年半遅れてしまい、これが他車との販売競争に打ち勝てなかった一因だと思われています。
2代目 アスカ
2代目アスカはGMのグローバルカー構想が中止となり、いすゞ自体の開発費用負担が厳しい状況であったため、既にジェミネットIIとしてスバル・レオーネバンのOEM供給を受けていた縁から富士重工業よりスバル・レガシィの供給を受けることとなりました。
販売期間は1990年~1993年ですが、販売開始後、わずか一年でレガシィに合わせアスカCXはビッグマイナーチェンジを受けることとなりました。
フロントグリルからヘッドライト周辺、リア回りのデザインを変更して外観を一新し、室内ではシートの形状と材質が変わりました。
3代目アスカ
3代目アスカはビッグホーンとミューのOEM供給を本田技研工業と結び、交換条件という形でアコードをアスカとして供給されることとなりました。
アコードとはバッジやフロントグリルが異なりますが、基本的には同じとなっています。また、全幅が1,760mmもあるため歴代アスカの中では唯一の3ナンバー車となりました。
販売期間は1994年~1997年です。
4代目アスカ
4代目アスカは先代に引き続きホンダ・アコードのOEMとなりまし。
ベース車がモデルチェンジで5ナンバークラスに戻されたことに伴いアスカも4代目に移行する形になりました。
販売期間は1997年~2002年です。
4代目アスカとホンダ・アコードとの違いはフロントグリル・サイドエンブレム・トランクエンブレム・専用ホイール・ステアリングホーンスイッチのロゴ程度で、アコードとの違いはほとんど無かったようです。
エンジンヘッドカバーはホンダのロゴが消されVTECだけ表記されています。
そんないすゞのアスカのデザインや乗り心地を、実際にアスカに乗っている人の声から紹介したいと思います。
歴代のアスカによって形が違うため、評価も様々ですが、それぞれに個性があるため、いすゞファンにとっても、アスカファンにとっても飽きの来ない一台であると言えそうです。
次はいすゞのアスカの価格についてです。
アスカの新車当時の価格は一体どれくらいだったのでしょうか。
アスカの価格は発売された時期やグレードによっても若干変わっては来ますが、大体170~209万円の間とされています。
いかがでしたか。
いすゞのセダンモデルの最終車アスカの魅力は伝わったでしょうか。
いすゞは経営状態が芳しくないこともあり、コストダウンを余儀なくされ、最終的には乗用車事業から撤退しました。
その最終車となったアスカは様々なOEMとされ、コスト削減などの煽りを受けてきました。
しかし、アスカは軽さとコンパクトなボディによって、いすゞの最後を締めくくるにふさわしい車となりました。
古い車にしかない良さに興味が湧いた方は一度試乗してみてください。
いすゞ車やアスカをお探しの方、購入を検討中の方はぜひ参考にしてみてください。
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